| 海女(あま)の井戸 |
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| 「潜」と呼ばれる天草取りを職とする海女は、海の安全を祈りこの井戸の真水で身を清め海に潜り、海の幸の恵みを受け、陸に上がると井戸の真水をかぶりその日の無事に感謝したと言われています。 |
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| 宇久須神社 |
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宇久須の地名は、大楠(おおくす)がなまってウグスとなったと言われておりこの宮の境内は広く、かつては大きな楠の木がありました。
宇久須神社には、県の有形文化財に指定されている六角形の釣り灯篭があり全体に青銅版の鋳金が施され、中央の唐草透かし彫りの上に打ち出された昇り藤の定紋と,上段下段の庇に刻まれた宝珠を大きな特徴とする優美で精巧を究めた作品です。 |
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| 永明寺の大イチョウ |
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| 永明寺の境内にあって天を摩す勢いで立っている大イチョウは、昭和43年に県の天然記念物に指定された大木。乳状下垂根の数が多く、形も見事で樹齢は約540年と推定されています。 |
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| 大滝 |
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| 西伊豆町内には、仁科川上流などに二十数カ所の滝が点在しているがその中で最も大きな滝が名前のとうり大滝である。滝の落差は48Mあり、近くまで行くとマイナスイオンの水しぶきが心地よい。三階滝沢歩道を歩けば幾つかの外の滝にも巡り逢える。 |
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| 黄金崎 |
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夕陽を浴びて岩肌が、黄金色に輝く黄金崎は駿河湾と富士山の眺望のすばらしさ、落日の美しさで知られる景勝地です。岬全体が公園になっており、遊歩道、芝生の広場、展望台等がありコレクションガーデンでは春から秋にかけてヘメロカリス、ポピー、菜の花などが咲き乱れます。
黄金崎のプロピライト
風化した安山岩が黄褐色に変化したもので昭和63年には、静岡県の天然記念物に指定されました。 |
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| 黄金神社 |
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| 黄金神社には古くから小石を社にお供えすると恋がかなうという言伝えがあります。 |
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| 西天城高原 |
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標高750mの爽やかな高原。ここが伊豆とは思えないような広々とした牧草地帯です。澄みきった空気、クマザサの緑、天城の山と駿河湾が広がる風景の中乳牛が放牧され、晴れた日には南アルプスや富士山も望めます。
4月上旬から中旬は、高原に上がる沿道沿いに思い川桜を、中旬から下旬までは高原一帯に咲くまめ桜を見ることができる。 |
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| 三島由紀夫文学碑 |
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三島由紀夫が安良里の旅館に、約半月滞在し執筆した小説「獣の戯れ」の一節が刻まれている。昭和35年7月下旬沼津港から定期船に乗り黄金崎の断崖の下を通過する際に見た景観を描写している。 |
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| 夫婦椿 |
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この地は昔、金銀銅が採掘され、遠く九州から採掘指導者として働きに来ていたよそ者と呼ばれた男と、旧宇久須村の漁師の娘の間に恋が芽生え、夫婦石を逢い引きの場として密かに出会っていた。「よそ者には娘はやらぬ」と父親に反対された男は、この地に居られなくなり故郷へ帰ることになった。2人はせめてもの思い出として夫婦石の隣に紅白の椿を植え「夫婦椿」と名付けた。その後石切り場とともに無くなってしまったが、この地を訪れる方々の縁結びの場として、地元の若衆が再現をし現在に至っている。
心と心を清れば 微笑む花となる夫婦ほうき |
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| 網屋崎 |
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| 安良里港入り口にある岬。ハマボウやウバメガシの群生地であり、昔ながらの茅葺き屋根の網小屋が今も残されている。安良里地区では昔、深く入り込んだ湾内に追い込むイルカ漁が有名で、網小屋はそのための網の保管場所であった。 |
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| いるか供養塔 |
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| 安良里地区のイルカの追い込み漁は、明治時代から記録があり、昭和30年代まで盛んに行われていました。沖から多くの小船で、竹竿で水面を叩きながら、深く入り込んだ湾内の漁港に追い込んだそうです。一時期は、イルカ漁といえば安良里と言われていましたが、現在は全く行われていません。伊豆に「いるか供養塔」が7つありますがうち3つは安良里にあります。供養塔は、大量のイルカの捕獲に対してその霊を慰めるために建てられました。 |
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| 神洞滝 |
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| 安良里港に注ぐ浜川の上流にある神洞滝は、「お滝さん」の愛称で親しまれています。せせらぎに沿って続く遊歩道は、四季の草花や小鳥のさえずりがいつもあふれています。 |
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| 大聖寺 |
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| 伊豆88ヶ所霊場の85番札所。文覚上人の伝説があり、不動尊が有名。見学は自由です。 |
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| 忘れじの塔 |
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| 大東亜戦争時、旧賀茂村に駐留した予科練(海軍少年飛行兵)が、その当時の住民の親切が忘れられず、昭和50年にこの里が永遠に安らかであることを祈り建設されました。 |
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| 三四郎島 |
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| 三四郎島は、沖あい200Mほどのところにある伝兵衛島・中ノ島・沖ノ瀬島・高島からなる4つの島で、見る角度により3つに見えたり、4つに見えたりすることからこう呼ばれている。また、干潮時には一番手前の伝兵衛島まで瀬が現れ足をぬらさずに歩いてわたることができる。この現象のことを「トンボロ」と言い大変珍しい現象である。ただし、干潮時でも50cm以上潮が引くときでなければ歩いて渡ることは難しいので、事前に調べていただきたい。 |
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| 慈眼寺 |
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| 県道伊東西伊豆線仁科川沿い約3キロ上流、堀坂地区にこの寺があり、小さな如意輪観音像が安置されている。この山門の墓地には、赤穂四十七士のひとりで討ち入り後、大石の命を受け離脱した寺坂吉右衛門の墓と言われてきた地蔵が安置されている。 |
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| 白岩山壁画 |
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西伊豆町仁科沢田の船溜まりの北側に小さな丘を掘り抜いて作られた岩窟があり、その壁面中央に本尊金輪仏頂尊が鉄線描きで描刻され、刻線には墨が入れられており、円形の光背には朱色が施され上部に白岩山の文字が刻まれている。流麗な線の美しさと適格な筆力で描かれており、凡庸な作品ではない。
製作年代は鎌倉時代のものと思われるが作者については不明である。
現在では、破損を避けるため、格子ごしに見ることしかできない。 |
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| 天窓洞 |
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堂ヶ島最大の魅力である天窓洞は、白い凝灰岩からできており、その地下は蜂の巣のように海蝕トンネルができている。この洞窟への入口は、東口と南口、西口があり遊覧船はこの南口から入り中央にある天井が丸く抜け落ちた天窓まで進。暗い洞窟の中に天井から光の帯が海面まで差し込み神秘的な光景が見られる。昭和10年の早春に与謝野鉄幹・晶子夫妻が訪れ短歌にものこされている。
“島の洞 奥に窓あり 潮ゆれて 孔雀の色を 我が船に投ぐ“ 鉄幹
“堂ヶ島 天窓洞の 天窓を 光てくだる 春の雨かな“ 晶子
この天窓洞は、堂ヶ島遊歩道のコース上にあり天窓洞を上からも見ることができる。 |
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| 堂ヶ島 |
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| 伊豆半島の中でも、景勝地として知られる堂ヶ島はリアス式海岸線がつづき、波の浸食によりできた島々が海に点在し、伊豆の松島とも言われております。 |
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| 堂ヶ島薬師堂 |
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| 堂ヶ島の山側にある小さなお堂であるが、鎌倉時代に製作された寄木造りによる木像薬師如来坐像、木像阿弥陀如来坐像、木像釈迦如来坐像が安置され手おり静岡県の重要文化財に指定されている。また1Mほどの大きさで、木彫の咳止め地蔵も安置され、これも鎌倉時代の作と見られ子供の百日咳や、ぜん息を治すため祈願に訪れる人もある。 |
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| 天王神社 |
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| 仁科港のすぐ山手にスサノオノミコトを祀った社があり、毎年7月16日に「天王様のお注連あげ」という行事が行われる。稲ワラを太さ20〜30-、長さ80mに編み上げ社の頭上に張り渡す。 |
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| 天満宮 |
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仁科地区の奥まった場所にあり、学問の神様である菅原道真が祀られている。
境内は木々に囲まれこぢんまりとしている。渡ることが困難な石造りの太鼓橋が面白い。 |
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| 東福寺 |
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| 県道伊東西伊豆線沿いに、仁科川の清流を前にし、山門鐘楼の奥にこの寺がある。天福年間(約750年前)天福寺としてに健立され、その後東福寺と称され、本堂の天井には、大正末期に通称のん兵衛安さんという職人により漆喰で描かれた五百羅漢がある。 |
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| 与謝野鉄幹・晶子の歌碑 |
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昭和10年の早春に二人が堂ヶ島に訪れ、天然記念物に指定されている天窓洞を見て歌った。
“島の洞 奥に窓あり 潮ゆれて 孔雀の色を 我が船に投ぐ“
鉄幹
“堂ヶ島 天窓洞の 天窓を 光てくだる 春の雨かな“
晶子 |
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